3月2日の朝。 その日は、早稲田大学教育学部の合格発表日でした。
2月に入ってからというもの、彼女からは「不合格」の報告ばかりが続いていました。
第一志望だった早稲田の文化構想学部をはじめ、商学部、文学部、人間科学部。さらに明治大学の商学部や経営学部もすべて不合格。
暗雲立ち込める中で迎えたこの日は、都立高校の合格発表日でもありました。
彼女からLINEが届きます。
「毎朝不合格で申し訳ないので、今日はこちらを」
送られてきたのは、同じくうちに通ってくれている弟の都立日比谷高校の合格画面でした。
でも、待っていたのはそれではありません。 「あれ??」「そーゆーかんじ??」「もうひとつは???」 すかさずLINEでつつくと、1分後、今度は別の画像が送られてきました。
『早稲田大学 教育学部 合格』
本当に最後の最後、土壇場での逆転合格でした。
小学5年生から東都ゼミナールに通い、高校受験では都立国際高校に合格。そして大学受験では、憧れの早稲田大学へ。
一般的な塾の合格体験記なら、ここで「大逆転のサクセスストーリー!」と手放しで称賛するのでしょう。
でも、個人的にはこの大学受験を「成功」だったとは思っていません。 なぜなら、彼女の本当の強さも、本来のポテンシャルも、誰よりも知っているからです。
誤解を恐れずに言えば、「最初から私の言う通りにすべてを任せてやってくれていれば、全勝させてやれたのに」という悔しさの方が強いのが本音です。
彼女が最後に掴み取ったこの合格は、ギリギリの状況まで追い込まれた中で最低限のパフォーマンスを出した結果、「なんとか早稲田に受かっただけ」に過ぎません。
だからこそ、彼女自身にもこれを「終わりよければすべてよし」の成功体験だと思ってほしくないのです。
「すべてを大切にしたい」という等身大の欲張りが招いた迷走。一度は塾を離れるという選択。
一歩間違えれば、思い描いていた志望校には一つも届かない未来すらあった彼女が、どれほどの遠回りをし、どうやって最後に早稲田の切符を掴み取ったのか。
これから大学受験を迎えるご家庭への「こうはなってほしくない」という一つの教訓として。そして、彼女自身が将来大人になったときの振り返れる記録として。
綺麗事を一切抜きにした、リアルな戦いの軌跡を残したいと思います。
時計の針を彼女が高校に入学したばかりの頃に戻します。
高1
インナーカラーの高校デビューと片道1時間半の通学の壁
高校受験が終わった春。
中学時代よりも友達と遊びに出かけるようになります。
それでも夜は塾に来てしっかりと勉強を続けていました。
「このペースを維持できるなら、高校受験のリベンジ(早稲田大学 文化構想学部への合格)を果たせるな」と、当時は思っていました。

ところが、いざ高校生活が始まってみると、彼女は完全な「高校デビュー」を果たします。
入学前の時点で髪の毛の色は明るくなり、ピアスの穴も開けていました。自由な校風の高校とはいえ、もともと上品な顔立ちの子なだけに金髪もピアスも似合っておらず、「早く本当の美しさに気づいてくれないかな」と半ば呆れながら見守っていました。
とはいえ、勉強の滑り出しは決して悪くありませんでした。
東都ゼミナールでは、高1の段階で高1用の英文法と高2用の長文読解講座を同時に受講させ、並行して古文の学習ペースも管理していました。
その成果もあり、高1の7月に受けた進研模試では、英語の偏差値が80.4。
全国約45万人中で1,000位前後という素晴らしい結果を出します。
大学受験に向けた武器が完成しつつある。
そう思える好スタートでした。
しかし、高校生活の「物理的限界」が、少しずつ彼女の勉強時間を奪っていきます。
彼女は吹奏楽部に入部し、体育祭のダンスなど学校行事にも積極的に参加していました。 それに加えてネックになったのが通学時間です。
自宅のある船堀から高校まで片道約1時間半。
毎日3時間が通学だけで消えていきます。
もともと体力がある方ではない彼女は、部活と長時間の通学で疲労困憊になり、次第に最低限の勉強すら回らなくなっていきました。
東都ゼミナールでは、部活と大学受験を両立させるための基準として「高2が終わるまでに、英語と国語は時間無制限なら入試問題で合格点が取れる水準に仕上げること」を定めています。
そうしなければ、高3から本格的に世界史をやっていく時間がなくなるからです。
しかし、古文はいつまで経っても基礎の古典文法から抜け出せず、古典単語もテスト直前に丸暗記するだけのその場しのぎ。
予定通りには全く進まないまま、高2の春を迎えました。
高2
求められる勉強量と生活のズレ、そして高2秋の退塾
高2の3月。
高1、高2でやる英語講座を高1だけで終えたので、受験科目を全般的に見ていく「大学受験講座」へと切り替えました。
まずは英語と古文の完成を目指し、少しずつ現代文にも手をつけていく。早稲田だけでなく慶應(文学部)を狙うために高2の夏までに英検スコア2500以上をクリアし、上智大学も視野に入れてTEAPで330以上を取るという目標を設定しました。
しかし、ここから彼女の勉強は一向に進まなくなります。
理由は明白でした。通学時間、学校の授業、部活、学校行事だけでなく、純粋に「遊ぶ量」も多かったからです。
夜は疲れて寝てしまい、寝不足がたたると体調不良を起こす。
勉強時間はどんどん減っていきました。
「この進み方じゃ、上智まで手を広げるのは無理じゃないか?」
そう話をしても、本人は「やります」と答えます。
遊びに行くときも英単語の『鉄壁』を持ち歩いていたみたいです。
本人は隙間時間で勉強をしているつもりだったのでしょう。
しかし、求められている勉強量に対して、自分の行動が全く届いていないことに気づいていませんでした。
「今の生活バランスで本気で早稲田を目指すなら、何かを削らないと絶対に間に合わない」 と再三警告しました。
最低でも週に30時間の勉強が必要です。
部活と通学で平日の体力が削られているのに、休日の遊びまでフルで入れていたら、隙間時間に単語帳を開いた程度で足りるわけがありません。
毎週の確認テストの点数も低く、そもそも勉強をしていないから受けても意味がないといって確認テストをやらない日も増えてきました。
通学時間は変えられませんが、部活の頻度や遊ぶ量はコントロールできるはずです。
しかし、本人はそれらすべてを「削れないもの」として抱え込みました。
「何が本当に大切なのかを考えろ」 私は何度も言いました。
本人は部活も遊びも勉強も、すべてを大切にしたかったのでしょう。
しかし、結局それは「何も大切にしていない」のと同じです。
現状のバランスを見誤ったままでは、自分の進路を大切にしていることにはなりません。
少しずつ、彼女と塾の間にすれ違いが生じていきました。
そして高2の9月中旬、お母さんから電話がありました。
「塾に全然行かないし、お金ももったいないから、辞めた方がよくないか」というご相談でした。
「このまま続けても結果は出ないから、辞めてもいいと思う」と正直にお話ししました。
勉強量を減らす妥協案も検討しましたが、小学生の時から預かっている彼女のオーダーは「早稲田か慶應への合格」です。
それが達成できないのであれば、彼女が東都ゼミナールにいる意味はないと思いました。
9月いっぱいで彼女は塾を辞め、その後、東進ハイスクールに行ったと聞きました。
「うまくいくわけがない」 そう思いながらも、ただうまくいくことを祈るしかありませんでした。
高3
中途半端な復帰と過呼吸の夜。現状を打破した友人の慶應合格
それから約1年が経ち、彼女は高3の9月を迎えていました。
一度は袂を分かったものの、弟は引き続き通ってくれていたため、お母さんとは定期的に連絡を取っていました。高1の頃の早稲田の文化構想学部進学への希望は「商学部がいい」「教育学部もよさそう」「早稲田なら何でもいい」と希望が徐々に変わっていく希望については聞いていました。
そんな折、「本人が一度、先生に相談したいと言っているのだけど、話を聞いてもらえないか」と連絡がありました。
本音を言えば、気乗りはしませんでした。
自分の意志で離れた生徒に、中途半端な形では関わりたくなかったからです。ただ、この1年間ずっと信じて弟を預け続けてくれたお母さんのためなら一肌脱ごうと思い、面談を引き受けることにしました。
1年ぶりに勉強状況や模試の結果を見て、頭を抱えました。
どの模試を受けても、志望校の判定は基本的に「D判定」か「E判定」。
共通テスト模試の数字自体はそれなりに取れている部分もありましたが、それを合格に繋げるための「戦略」が完全に破綻していたからです。
大手予備校でやっていること、自分でやっていること、そのどれもが「何を目的になぜそれをやるのか」が見えず、完全に情報の迷子になっていました。
この判定を覆すための道筋が全く描けていなかったのです。
10月になり、彼女は東進に通いながら、東都で週2回の個別指導を受ける「ダブルスクール」の形で復帰しました。
最初から「東都の大学受験講座一本に絞ろう」と強く提案できなかったのには理由があります。
一つ目は、本人が自分で勉強のペースをコントロールしたがっていたから。
もう一つは費用の面です。
東進ハイスクールは予備校なので前期・後期での一括払いです。だから、10月にはすでにご家庭は後期分の授業料を全額支払い済みでした。弟の塾代もかかっている中、これ以上の経済的負担をかけることに抵抗があったのです。
それから3週間ほど経った頃、お母さんから「私の方から本人に、東進ではなく東都の大学受験講座にしなさいという話をしています」と聞きました。
すでに東進にお金を払っているにもかかわらず、お母さんが追加の費用をかけてでもゴーサインを出しているなら、ためらう理由はありません。彼女を呼び出し、「早稲田合格にために来月から大学受験講座にするから」と告げ、こう付け加えました。
「文句があるなら今言って。家に帰ってからお母さんにワーワー文句を言うのはマジで勘弁ね」
「わかりました。そんなことしないです。」と言って帰りましたが、翌日、彼女は塾に来ませんでした。
家でひと悶着あったなと呆れているところに、弟が塾に勉強をしに来ました。
「昨日、お姉ちゃん家で荒れちゃった?」と聞くと、彼は「言うなと言われている。」と口を開きませんでした。そこで「じゃあ言わなくてもいいから、君はどう思って何をしたかを教えて。」というと…、
「面白かった。すごい大声で泣きながら叫んでいるから、スマホのボイスメモで録音した」と笑います。
詳しく聞くと、家で息ができないほど泣きじゃくり、過呼吸になって痙攣して動けなくなっていたとのこと。
彼女がそこまで激昂した理由は、「なぜお母さんは塾の先生に、私のことを何でも話すの!? 私のプライバシーはないの!?」というものでした。
その後、お母さんから「本人の意思を尊重するべきだったと反省しています。もう本人がやりたいようにやらせるので、どんな結果でも受け入れます。昨日の件については、本人には触れないでやってください」と連絡がありました。
お母さんの意向を汲み、10月、11月とその件には一切触れず、週2回の個別指導を粛々と進めました。
それは事実上、早稲田合格がほぼノーチャンスになることを意味していました。
お母さんに迷惑と心労をかけてしまったことが心苦しく、負け試合とわかりながらもベストを尽くさないといけないことが虚しかったです。
現状維持のまま時間が過ぎていく中、 彼女の学校の友達が慶應義塾大学に総合型選抜で合格したのです。
自分と同じか自分のほうが頑張っていると思っていた友人が、一足先に慶應の合格を決めた。
その事実が、彼女の中に猛烈な焦りと悔しさを生み出しました。
11月末、ついに彼女は自ら腹を決め、「大学受験講座でお願いします」と、お母さんを通じて連絡をしてきました。
ただし、東進にも通うから週4回という条件付きでした。
この期に及んでまだ中途半端なオーダーを出してくることが、たまらなく嫌でした。
そんなやり方ではお金の無駄だし、狙った成果も出せません。
最初は断ろうと思いましたが、お母さんからの「週2よりはマシですよね」という言葉に一旦は納得し、受け入れようと思いました。
11月までは東進がメインだったため、彼女の受験日程について一切アドバイスをしていませんでした。
口を出す立場にないと思っていたからです。
しかし、大学受験講座としてこちらがメインになる以上、受験校選定の精査は東都の責任になります。
そこで改めて現状の予定を確認させてもらったのですが、彼女が見せてきた「受験日程表」はあまりにもひどいものでした。
本人の行きたい大学がただ羅列してあるだけで、日程のバランスも滑り止めの戦略もなく、偏差値と入試日程だけで選定されています。
本人の適性や対策の汎用性は一切考慮されていませんでした。 ただでさえD・E判定しか出ていないのに、このカレンダー通りに対策していけば、過去問を消化することはできるだろうけど、全滅する可能性も十分にあると思いました。
本人と話をしても、希望的観測ばかりでまったく現実が見えていません。
こちらが受験校選定を主導する立場でやる以上、言うべきことは言うし、求めるべきものは求めるし、それができないなら協力はできないというスタンスを明確にしておく必要があると考えました。
だからお母さんとの約束を破り、言わないでくれと頼まれたものや気遣いを一切なくして本音を話しました。
翌日、まずは弟が塾に来ました。「昨晩は荒れましたか??」ときくと弟はうなづきます。「またか…」とうんざりしながらも、約束を破った理由と見解を述べておこうと思い、お母さんへLINEを送りました。
【12月3日にお母様へ送ったLINE全文】
お世話になっております。
弟からちらっと聞きました。予想通りの展開になったようで…申し訳ない気持ちもありますが、残念です。
家での様子を本人に直接伝えたことについて、本人も、そしてお母様も内緒にしてほしかったと思われているかもしれません。ただ、今回も含め本音を伝えさせてください。
嫌われ役を買って出てまでそこまで踏み込むかというと、一度引き受けた以上、絶対に合格させたいというプロとしての意地があるからです。
正直なところ、一度辞めた経緯がある中で、しかも12月の直前期に再度引き受けたのは、他でもないお母様が私を裏切らず、信頼して頼ってくださったからです。
そのお母様のお気持ちに報いるには、「合格」という結果を出すしかないと思っています。
塾と生徒の関係は医者と患者の関係と同じです。
家での様子を隠して、適切な治療などできません。「秘密裏に進めて治してくれ」というのは、今の切羽詰まった時期には無理な相談です。
昨日、本人に来る曜日も含めて突きつけたのは、今の甘さを自覚させ、本気で合格ラインに引き上げるためです。そこで「なんで先生に言ったの!」とお母様に不満をぶつけること自体、まだ受験生としての覚悟が足りていませんし、怒るポイントが間違っています。
生徒・保護者・塾は合格するためのチームです。
どうかお母様から「先生と私は、あなたを合格させるために連携しているんだ。そこに隠し事をしていて受かるわけがないでしょう」と、本人に伝えてやってください。
今の甘えを捨てさせないと、最後にご本人が泣くことになります。
ぼくは嫌われても構いませんので、どうかご協力をお願いします。
昨日の受験カレンダーをみても自分が行きたい大学学部しか選んでいません。それを最大限尊重しますが、ぼくは勝つためにやっています。 自分がやりたいようにやることが本人の希望なら残念ですがうちは協力できないと思います。電話で話そうとも思ったのですが、この内容をそのまま転送していただいてもいいかなと思いラインにてご送付しました。
状況をすべて把握しているわけではないのでずれたことを言っていたら申し訳ございません。
行きたい大学を並べただけの甘い考えを捨てさせ、現実を直視させる。 ここからようやく、早稲田合格へ向けた本当の受験勉強がスタートしました。
退路を断った直前期。「捨てる戦略」と吠える昼休み
友達の慶應合格というショックから火がついた彼女は、12月に入ってから徐々に変わっていきました。 最初は週4回の通塾でしたが、過去問と真剣に向き合い現実の壁にぶつかる中で本気度が増し、やがて「移動の時間ももったいないから東進には行かない」と自ら言い出し、実質的に東都ゼミナールへ一本化したのです。
覚悟が決まった彼女は強かった。 過去問の選定、直しのチェック、学習ペースの調整。これらすべてを管理できるようになってから、過去問の消化ペースや弱点強化は劇的に上がっていきました。
午前中は塾で過去問を解く。昼過ぎに塾へ行くと、午前中に解いた過去問をバサッと渡してきます。そのチェックと指示出しをしている傍らで、彼女は昼ご飯を食べながら「英語の点数が悪い!」「国語が終わらない!」とくだを巻き、ワーワーと吠え散らかす。
ひとしきり不満を吐き出して、また机に向かう。過去問の直しが終わると別の過去問や参考書学習で単元別の復習をします。その後、「落ちる」だの「どこなら受かるんだ」だのとワーワー吠え散らかして一日が終了。
このサイクルで本人の実力は着実についていき、こちらの体力と精神力は着実に減っていきました。
1日1年度分の「英語・国語・世界史」をこなせるようになり、直近5年分の早稲田の過去問を解かせた感触から、学部ごとの合格可能性も見えてきました。 人間科学部・教育学部は◎、商学部・社会科学部は〇、文化構想学部・文学部は△。
しかし、「どんな難易度や出題パターンが来ても対応できる」という万全な状態に仕上げる時間はなく、直近数年の難易度や傾向のまま来てくれれば、なんとか戦えるかなというギリギリの手応えでした。
世界史の仕上がりが遅く、現代文の選択問題の正答率も低く、古文はギャンブル要素が強い。
一番の武器である英語も、「例年通りの出題レベルなら確実に稼げるが、少しでも難化すると一気に点数が崩れる」という弱点がありました。
これをカバーする高度な読解演習を積ませる時間はないため、世界史+現代文 > 古文 > 英語の順番で問題演習を行いました。
そして、戦略の要となる「受験カレンダー」の再構築。 明治、立教で最低限止められて、早稲田を獲るためにリソースを最大限つかうことをコンセプトに出願を組みました。
早稲田の個別入試に向けた過去問演習に極限まで時間を割かなければならない以上、共通テストに特化した対策にリソースを割く余裕は全くありません。だからこそ、共通テスト対策は年末年始の5日間だけに絞り切る決断をしました。
しかし大前提として、共通テストでコケてしまうと、その点数を一部利用する早稲田の人間科学部や社会科学部、明治大学の経営学部は、事実上ほぼノーチャンスになってしまいます。対策に時間は割けないが、コケるわけにはいかない。そのバランスのとり方に一番気をつかいました。
受験校選びには鉄則は、希望を一つに絞ること。
彼女の場合、「MARCHや成成明学以上の大学に行きたい」というランクへの希望と、「商学部や経営学部に行きたい」という学部への希望、この2つを持っていました。
しかし、両方を満たそうとすれば滑り止めが機能しなくなります。
「成成明学以上のランクが譲れないなら、学部へのこだわりは捨てる」
「どうしても経営やマーケティングがやりたいなら、大学のランクを下げる」
基本はこの2つのどちらかを取ります。
もしどちらもほしいなら、「受験にかかる費用」、「最大20日連続受験になっても耐える体力と精神力」、「早稲田へ対策に使う時間」。この3つを捨てることになります。
結果、学部のこだわりを捨てることになります。
だからこそ、共通テスト利用入試での「成成明学」クラスは、商学部などにこだわらず、受かりやすい学部に出願してとにかく事前の「合格(滑り止め)」を確保しにいったのです。
その上で、第一志望の早稲田は、社会科学部や人間科学部など共通テストの結果が反映される方式も含め、少しでもチャンスのある学部は片っ端から受ける。(ただし、国際教養や法学部など合格可能性が全くない学部は潔く回避する)。
明治大学は、本人が希望する商・経営に加え、学科新設でチャンスがある政治経済の「政策学科」を狙う。 そして最後の防衛線となる立教大学は、「絶対に合格を獲るため」に激戦区を避け、新座キャンパスの学部に3回出願する。早稲田と明治がダメでも、立教で絶対に食い止めることが狙いです。
この出願プランを組むと、早・明・立だけで「2月6日、8日、10日~13日、16日~19日、21日、22日」とカレンダーが真っ黒に埋まります。
しかし、 立教大学は英語の独自試験がなく「国語と社会の2科目」で受けられるため連戦の負担が少なく、明治大学も共通テスト併用型を選べば独自試験の負担が軽くなるので、以前に比べれば体力面はかなり軽減されています。
問題は、「共通テストで大コケして、事前の滑り止めが確保できなかった」という最悪の状況に陥った場合です。 その場合は、2月1日~4日にも急遽押さえの大学を取りに行く必要が出ます。つまり、2月上旬からほぼノンストップで試験を受け続けることになる可能性がありました。
もしその展開になれば、体力・気力ともに相当削られる苦しい戦いになります。しかし、その最悪の事態が起こる確率と、ここで勝負を避けて「早稲田のチャンス」を逃す損失を天秤に掛けたとき、腹を括って挑む価値は十二分にあると判断しました。
共通テストの大コケ、不合格の連鎖。それでも折れなかった心
年が明けて、いよいよ共通テスト本番。
試験会場にはお母さんも付き添い、本人は「絶対に9割超える!」と強気に宣言して会場に入っていったそうです。
しかし、結果は「大コケ」でした。
自己採点の結果、得意の英語こそ9割を取りましたが、世界史は6割、現代文も7割にとどまりました。
この時点で、共通テストの点数を一部利用する方式や、成成明学の商学・経営・経済といった希望学部はほぼ絶望。
成城大学の法学部や、明治学院大学の法学部・文学部は安全圏だったため「進学できる大学」自体は確保できたものの、本人の希望とは大きく乖離する状況です。
目一杯の対策はしていないとはいえ、過去問や実戦模試では安定して85%程度は取れていました。
「だから共通テストは怖い」と思う一方で、本番のプレッシャーでここまで大崩れしてしまう彼女のメンタリティに強い危機感を覚えました。
大学生にはなれても、希望する大学や学部には行けないかもしれない。
そんな最悪の想定が現実味を帯びる中、2月に入り個別入試の連戦がスタートしました。
2月6日の立教大学。
試験が終わる塾に来るなり「全然できなかった!」といつものワーワーが始まりました。
授業中だったため軽くしか問題チェックができませんでしたが、実際の正答率はそれほど悪くありませんでした。 その後も、明治の政治経済こそ「できた」と言って帰ってきましたが、それ以外は毎日「落ちた」「いつもよりできなかった」と暗い顔で帰ってきました。
それでも、彼女は決して逃げませんでした。
試験が終わって帰ってくると必ず自己採点をし、直しをして、翌日に備える。
連日のプレッシャーの中でも、そのルーティンだけは絶対に崩しませんでした。
感情を乱すことはあっても、行動は乱さない。
あの「中途半端だった彼女」は、この頃にはもう立派な「真の受験生」になっていました。
試験が進む中、残酷な結果が次々と突きつけられます。
明治の経営学部、商学部は不合格。
立教のコミュニティ福祉は3回出願したものがすべて合格していたものの、早稲田は一番行きたがっていた商学部をはじめ、文化構想学部なども不合格。さらに全日程が終了してからも、文学部、人間科学部と次々と不合格の通知が続きました。
共通テストの点数が悪かったことによるそもそものビハインドがある中で、今年の早稲田はどの学部も彼女の最大の得点源である「英語」が難化していました。
前述の通り、彼女の英語には「難化した時の点数の下がり幅が極端に大きい」という脆さがあります。
普通なら得点が半分になるところを、一気に6割減、7割減と崩れてしまうイメージです。そこをカバーする練習をする時間がなかったことが、ここでモロに響いていました。
残す発表は、3月2日の教育学部と、3日の社会科学部のみ。
普通なら心が折れてしまう状況ですが、個別入試の自己採点を見た時から、「教育学部はあるかもな」という確信めいたものがありました。
まず共通テストの結果が合否に関係ないこと。そして、出題傾向は前年より難化していましたが、直近5年の中で一番難しかった年度よりは簡単だったからです。
過去問分析の感触からも、ここが彼女にとって一番チャンスがあるはずでした。
合格発表の前日、お母さんにLINEを送りました。
『連日落ちまくってますけど大丈夫ですか? 明日……もしかしたら感動?爆笑?の動画が撮れるかもしれません。カメラを回しておいてください』
そして翌日、3月2日の朝。
冒頭でお話しした通り、弟の日比谷高校合格の画像に続いて、彼女から『早稲田大学 教育学部 合格』のスクリーンショットが届きました。
一番行きたかった商学部ではありませんでした。
それでも、最後の最後に早稲田大学の切符を掴み取ったのです。

エピローグ
一般的な視点から見れば、「明治の経営や商学部には落ちたのに、政経には受かった」「最後の最後で早稲田に引っかかった」という結果は、奇跡的な大逆転や単なる「運」のように映るかもしれません。
しかし、あれは決して偶然舞い降りた運などではありません。 立教の複数回出願も、明治の学部選定も、早稲田の対策の優先順位づけも。
すべては最悪の事態を想定し、何が何でも合格を獲るために計算し尽くした戦略でした。
でも、どんなに緻密な受験日程を組んでも、計算したトレーニングを用意しても、それを実行する本人が逃げ出したらすべて終わりです。
彼女は逃げませんでした。
あの過酷なスケジュールの中、連日の不合格通知に心が折れそうになりながらも、吠えながら過去問にしがみついた。その努力があったからこそ最後に「合格」という形になったのだとおもいます。
運や奇跡を引き寄せたのは、間違いなく彼女自身の執念でした。
それでも、この結果を手放しで「大成功」だと言えない理由はただ一つです。
彼女には、もっと上の景色を余裕で掴み取れるだけの、圧倒的なポテンシャルがあったからです。
最初からすべてを任せてくれていれば。自分の甘さに早く気づいていれば。こんな綱渡りのような苦しい思いをせずとも、一番行きたかった商学部に堂々と合格させてやれたはずなのです。
「もっとやれたはずなのに」という指導者としての歯痒さがどうしても残ります。
すべてを大切にしたいと欲張り、中途半端に立ち回って自滅しかけた日々。 でも、いざ腹を括ってからは、本当によく戦い抜きました。そこは心から称賛したいと思います。
今は思う存分、自分が掴み取ったこの結果に酔いしれてください。
これからの長い人生、すべてが順調にいく人間なんていません。きっとまた壁にぶつかったり、あれもこれもと欲張って迷ったりする時が来るでしょう。
そのときは受験生活を思い出してください。
本当に大事なものを守るとはどういうことなのか?
その教訓を今後の人生で生かし、次のステージで活躍されることを心から応援しています。
最後にお母さまへ。
色々とヒリヒリする局面の連続でしたが、最後まで私を信じて託してくださり、本当にありがとうございました。 小学5年生の時から長きにわたり大切なお子様たちを東都ゼミナールにお任せいただいたこと、指導者としてこれ以上の喜びはありません。
なんとか「早稲田合格」というお約束だけは果たせて、今はただホッとしています。 本当に、ありがとうございました。

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