「先生! これからヤバい奴が入ってきます!」
「だれ?」
「弟です!! もう本当あいつが入ってきたら…この塾、メチャクチャになりますよ」
今回の事例は、当時東都ゼミナールに通い、後に都立国際高校へ進学することになるお姉ちゃんからの、この強烈な警告から始まります。

卒業生のビフォーアフター
偏差値

評定

テスト結果

小学生
学校の学年でいうと小3の3月から2週間の体験授業がスタート。たしかに、お姉ちゃんの言う通りコントロールが難しいというか、「野生」や「マイペース」という言葉がぴったりな男の子でした。
問題を解き出すと人の話は聞かない。
異常に筆圧が強くてプリントに書いた字が下の机に移り使用後の机は真っ黒。
そんなに消しゴムを使っていないはずなのに、終わったあとの机はなぜか消しカスだらけ。
「なんでこうなる??」というのが第一印象です。
体験直後、世の中はコロナ禍へ突入し、授業や自習はオンラインへ変更を余儀なくされました。
休校期間中、彼のオンライン学習を見ていた時のことです。
音読をしようと誘っても無反応かと思えば、『鬼滅の刃』の主題歌を熱唱し始めます。
Zoomに入ってくるユーザーネームは毎回よく分からない名前。
画面共有機能で説明をしていると、何度注意してもイタズラ書きをしてくる始末でした。
さらに、当時の二人はとても姉弟仲が悪く、お姉ちゃんのオンライン授業中にも事件は起きました。
普段は真面目に授業に取り組んでいるお姉ちゃんが、画面を見ずに何かを叫んでいるのです。ミュートになっているので音声は聞こえませんが、一段落したところで「どうしたの?」と声をかけると、「弟が邪魔をしてくる!」と。
すると、お風呂に入る直前の彼が、パンツ一丁の姿でZoomの画面に乱入してくることもありました。
家では野生児、学校では優等生。奮闘の日々
小学生の間は、基本的にこの調子で進んでいきました。
当時は公文にも通っており、算数は自力で解かないと正解がもらえないためそれなりに力がついていました。
しかし問題は公文の国語です。
公文は全部の答えに丸がつかないと次のプリントに進めないシステムなのですが、4択問題の場合、本文を読まずにまず「ア」と書き、バツなら「イ」、それもバツなら「ウ」…と順番に書いていけば、4回目には必ず丸がもらえて次に進めてしまいます。
こんな力技でシステムをクリアしていたため、当然ながら国語力など全く身につきません。
欲望にも忠実でした。
放っておくとゲームばかりしてしまうため、お母さんがスマホにロックをかけていたのですが、彼は寝ているお母さんの指をこっそりスマホに当てて指紋認証を突破するというスパイ映画のような手法でゲームをしていました。
家ではそんなふうにマイペースで野生児な彼ですが、実は「学校での評価は高く、外ではいい子」という特長がありました。
お母様は家での自由すぎる振る舞いをなんとかコントロールしようと、日々奮闘されているようでした。
中1
学校の成績は「オール5」。しかし駿台模試で見えた国語の課題
中学生になると、姉の過酷な高校受験を間近で見ていた影響もあるのでしょう。最難関校に合格するための膨大な勉強量を淡々とこなすようになりました。
平日は夜23時まで塾に残り、休日もバスケ部がなければ14時から、部活がある日も終わり次第まっすぐに塾へ向かいます。「課題が終わっていないからカリキュラムが遅れる」などということは、この先3年間で一度もありませんでした。
この「平日23時」という時間設定は、彼にとっては不本意な妥協の産物でした。
当初、本人は「24時半や25時までやる」と言い張って聞かなかったのです。小6の頃、深夜まで机に向かう姉の姿を見て「受験とはそれくらいやるものだ」と、彼なりに覚悟を決めていたのかもしれません。
しかし、これにはどうしても避けられない物理的な問題がありました。
船堀方面から一之江の塾まで、お母さんが深夜に自転車で送迎をしていたのです。
姉が高校に入学し、毎朝のお弁当作りも始まっていたお母さんにとって、連日の深夜の自転車送迎は体力的に限界でした。
そこで「さすがに24時は無理だ」と時間を早めるよう説得し、最終的に23時で落ち着きました。
典型的な天邪鬼である彼は、お母さんの「大変だから早く帰ってきて」という言葉に素直に頷くことはなく、後日「睡眠が大事だと知ったから」などともっともらしい理由をつけていました。
バスケ部の活動をしながらも夜遅くまでの勉強と両立する生活が始まりました。その成果は、すぐに学校の成績として表れます。
定期テストでは430〜460点台をキープし、中学1年生の学年末の評定は主要5教科すべて「5」。副教科を含めても9教科で「44」という非常に優秀な結果でした。
しかし、全国レベルの学力が問われる「駿台模試」では、現在の本当の実力と課題が明確に浮き彫りになります。
中1の8月に受けた駿台模試の結果は、小学生時代から鍛えていた英語こそ偏差値65前後とよくできていましたが、数学は50前後。
そして国語は、偏差値「40.2」という結果でした。
小学生時代、公文の国語プリントを「ア→イ→ウ→エ」の力技で乗り切っていた影響が、ここでごまかしのきかない課題として表れたのです。
早慶以外は大学受験
志望校について、本人は当初「中央大学杉並や明治大学付属中野がいい」と口にしていました。
しかし、彼の勉強のペースと学力を見れば、MARCHの附属校は十分に合格が見える位置にあります。
「そこを目標にするのは違うよ」と話していたとき、お母さんから出たのがこの言葉でした。
「早慶以外は大学受験」
この一言で、志望校は必然的に早慶の大学附属校に決まりました。
ただ、早慶を目指す上で、偏差値40台の国語はどうしても引き上げなければならないネックになります。そこで、塾の通常カリキュラムとは別に、語彙力を強化するためのテキストも追加で勉強しました。
定期テスト結果と通知表の評定
| 学期 | 5科目 | 9科目 | 評定 |
| 1学期 | 445 | 829 | 41 |
| 2学期 | 433 | 796 | 42 |
| 3学期 | 448 | 828 | 44 |
学力診断テスト
| 実施月 | 3科偏差値 |
| 4月 | 65 |
| 5月 | 63 |
| 6月 | 60 |
| 7月 | 60 |
| 8月 | 62 |
| 9月 | 60 |
| 10月 | 66 |
| 11月 | 67 |
| 12月 | 65 |
| 1月 | 62 |
| 2月 | 63 |
駿台模試
| 実施月 | 偏差値 |
| 6月 | 55.7 |
| 8月 | 54.8 |
| 11月 | 56.1 |
| 1月 | 54.1 |
中2
得意の「逆張り」が生んだ496点
母親の言うことはさらに聞かなくなり己の道?というか母親の言った道とは逆の道を進みます。
その執念とも言える学習量が、秋の2学期中間テストでとんでもない数字となって表れます。 英語100点、数学100点、国語98点、理科100点、社会98点。 なんと、5教科合計で「496点」。
ほぼパーフェクトと言っていい点数を叩き出しました。
さらに、中1からの努力が実を結び偏差値40.2だった駿台模試の国語は、8月には「53.5」へと急上昇。圧倒的な結果を出したのです。
ただ、この見事な結果の裏には、彼特有の天邪鬼な性格がフル稼働したエピソードがありました。
このテスト前、彼は連日夜中まで試験勉強をしていました。お母さんが見かねて「早く寝なさい」と注意するのですが、彼は言われれば言われるほど意地になり、絶対に寝ようとしません。
結果、ひどい寝不足から頭痛を起こし、塾を休む羽目になりました。
実は2年前、彼のお姉ちゃんが中3の期末テスト前に同じように徹夜をして、胃腸炎にかかり試験結果が散々だったという痛い過去がありました。
彼はそれを一番近くで見ていたはずです。 「あんなことしたら失敗する」と頭では分かっているのに、母親から「早く寝ろ」と命令された瞬間に、反発心が論理を上回ってしまう。
「自分で痛い目を見ないと絶対に認めない」という頑固さがありました。(案の定、後日「これで寝不足はダメだとわかった」と言っていましたが…。)
この「親への逆張り」は、知る限りずっとやっていて、最も印象的な事件が中2の1月にありました。
冬期講習がおわり中3生の千葉入試まで残り1週間という時期の話です。
お母さんから塾に電話がかかってきました。
「熱があるから塾を休めと言ったのに、勝手に行っちゃったんです。着いたらすぐ帰るように本人に言ってください!」
お母さんは彼を休ませるため、自転車の鍵を隠すという強硬手段に出ていました。しかし彼は意地でも塾に行くため、自宅からわざわざ歩いてやって来たのです。
しばらくして塾に現れた彼に「熱あるの?」と聞くと、「朝はあったけど、さっき測ったら下がっていたから来ました。今は大丈夫です。」と言い張ります。
せっかく歩いてきたのだから、このまま何もさせずに帰すのも可哀想だと思い、「じゃあ、このテストだけやったら帰ろう」と問題を渡しました。
しかし、解いている彼をふと見ると、どんどん様子がおかしくなり、体がガタガタと震えています。
そこで
「朝は何度あったの?」
「38.8度です。」
「じゃあ、家を出る前は何度だったの?」
「38.3度です」
「……たしかに下がってはいるけどさ。それ、塾に来ちゃダメなやつだから。お帰りください」
お母さんからすれば、本当に頭が痛く、気が休まらない日々だったはずです。
「親の言うことは絶対に聞かない」
「やるなと言われたら意地でもやる」
そんな思春期特有の反抗的なエネルギーが、見事なまでに「勉強」と「塾に行くこと」へと全振りされていたのが、この中2の時期でした。
定期テスト結果と通知表の評定
| 学期 | 5科目 | 9科目 | 評定 |
| 1学期 | 464 | 841 | 44 |
| 2学期 | 466 | 851 | 44 |
| 3学期 | 477 | 830 | 43 |
学力診断テスト
| 実施月 | 3科偏差値 |
| 4月 | – |
| 5月 | 65 |
| 6月 | 67 |
| 7月 | 65 |
| 8月 | 67 |
| 9月 | 69 |
| 10月 | 68 |
| 11月 | 69 |
| 12月 | 67 |
| 1月 | 64 |
| 2月 | 66 |
駿台模試
| 実施月 | 偏差値 |
| 6月 | 52.6 |
| 8月 | 59 |
| 11月 | 58.2 |
| 1月 | 60 |
中3
5科目受験への変更と、直前期特有の不安
初期の併願プラン
中3になり、いよいよ本格的な受験校の選定に入りました。
お母さんの志望順位は終始一貫して「早慶付属校 → 都立高校 → その他の私立高校」と明確でした。
一方で本人はというと、中1の頃は「明大中野」や「中大杉並」といった学校名を口にしていました。自分の希望を言って叶わないと格好悪いと思っているタイプなので、当時の彼なりの自信のなさ、極端な臆病さの表れだと思います。
当初の併願プランは、1月17日と18日に専修大松戸を2回連続で受けさせるというものでした。
とにかく臆病な性格なのは分かっていたので、最初に不合格を経験すると、そのショックを引きずって本来の力を発揮できずに終わる可能性を危惧しました。
まずは必ず最初の受験で「勝ち」を経験させ、本人に自信と安心を与えたいという狙いがありました。
そして早慶の試験がない2月12日には、当初「明大中野」を入れる予定でした。
これは中3時点での本人の強い希望というわけではなく、単にその日程で受験できる目立った学校が他になかったからです。
とはいえ、もし早慶が全滅し都立にも敗れた場合、「高校受験でMARCHには受かった」という事実が、彼にとっての中学3年間の成果の証になるだろうという考えもありました。
選択肢の拡大と、5科目受験へのシフト
しかし、指導を進める中で「5科目受験」のほうが本人の将来にとってプラスなのではないかと考えるようになりました。
以下、3つが理由です。
1つ目は、成長曲線が予想以上に急激に伸びてきたから。
「親にやらされている勉強」をする子は、高校に入るとパッタリと勉強しなくなるため、高校受験で大学付属校に入れてしまった方が最終的にランクの高い大学に行ける可能性が高いです。
しかし、彼の授業でのリアクションや勉強に取り組む姿を見ていると、決して勉強が嫌いなわけではなく、むしろ楽しんでいるように見えました。
「早慶が天井の子ではない、もっと上もある」と感じ、これなら大学受験まで経験させたほうが本人の人生にとって間違いなくプラスになると思うようになったのです。
2つ目は、学習面での「新しい刺激」が必要だったから。
視野を広げ、視座を高くするには多くの刺激が必要です。
この時期、彼のメインの3科目(英数国)はある程度仕上がってきており、過去問と直しの繰り返しだけではどうしても飽きがきて、思考も固くなってしまいます。もう一つ上の思考力や知識を身につけさせるには、理科・社会という新しい刺激を入れる必要があると感じていました。
3つ目は、本人自身が「明大中野は受かってもどうせ行かないから、受けない」と言い出したから。
これらが重なり、2月12日は大学受験がある進学校の「巣鴨」を受験することになり、本格的に私立向けの5科目(理社)の勉強を始めることになりました。
リスクと勝算のギリギリの見極め、そして「頑固さ」への劇薬
さらに、ここで「1月の市川受験」が浮上します。
私立用の5科目を勉強し始めたことも関係していますが、最大の理由は「都立(日比谷)をより強気で受けられる選択肢」が欲しかったからです。
市川であれば、仮に都立がダメだった場合でも「行きたい」と心から思える学校になります。
また、押さえである専修大松戸は、彼の仕上がりなら1回の受験で合格できる可能性がかなり高くなっていました。
とはいえ、極端に臆病な彼にとって、1月の千葉入試で「市川、専修大松戸と連続で不合格になる」という事態だけは絶対に避けなければなりません。
確実に勝負できる状態かどうかをギリギリまで見極めるため、市川の出願はリミット直前の1月4日まで引っ張りました。
過去問「20点」。子どもの弱音を親が鵜呑みにしてはいけない理由
この過酷な5科目受験のルートを進む上で、彼には一つ厄介な欠点がありました。
それは「思い込みが激しく、人の話を聞かない」ということです。
本格的に私立理社の対策を始めた直後の12月上旬。
彼は市川の理科の過去問で「20点台」を叩き出しました。
彼が解いた年度の理科は非常に難しく、受験者平均点が30点台でした。過去問を始めたばかりの段階でその差が10点程度なら、5科目トータルで見れば彼の得意な英数国で十分に逆転可能です。
しかし彼は、全体像を見ようとせず「理科が20点だった」という目の前の事実だけを切り取って、絶望してしまいました。
実は、以前からこうした極端な思い込みの癖がありました。
ある時、お母さんから「本人が『自分は一度も合格点に届いていないから、早慶なんて絶対に受からない』と言っている」と相談を受けたことがあります。
不思議に思いました。
そもそも慶應志木は合格者最低点を公表していませんし、塾が持っている過去のデータと彼の成績を照らし合わせれば、合格する可能性のほうがずっと高かったからです。
本人に「なんで合格最低点を知ってるの?」と聞いてみると、「ホームページに載っている」と答えます。
彼が見て絶望していたのは、最低点とは全く異なる、ずっと点数の高い「合格者平均点」だったのです。
「市川なんて受かるわけがない。こんなことをしていたら早慶も落ちる」 誤った情報の解釈と思い込みで不安に耐えきれず、彼は一番甘えられるお母さんにその恐怖をそのまま吐露しました。
そして、息子のその切実な姿を見たお母さんから、こんなLINEが送られてきたのです。
「市川高校は受けないで、あと2ヶ月早慶対策に力を入れたいと昨晩話してました。昨日、市川の理科をやったら20何点しか取れなかったみたいで。分からない用語も出て来てるみたいで、市川の理社対策するなら早慶対策に時間を使いたいという話しになりました。」
「話しを聞いていると早慶全滅するんじゃない?と思っていて、それなら市川の対策してる時間ないんじゃない?と思いました。」
入試直前期、子どもは極限のプレッシャーの中にいます。
我が子が不安に押しつぶされそうになっている姿を見れば、親がそれを真に受けて一緒に揺らいでしまうのは当然の反応です。
今回のお母様がそうなってしまったのも無理はありません。
しかし、子どもの吐く弱音はガス抜きであることがほとんどです。
その言葉を親がそのまま鵜呑みにして一緒にブレてしまうと、本来勝てるはずの勝負から降りることになってしまいます。
親にいくら客観的な事実を説明し、励ましたところで、子ども本人が考えを変えない限り、親の不安を完全に拭い去ることはできません。
そこで本人と話しました。
しかし、「合格者平均点と最低点の違い」や「5科目トータルの戦略」を論理的に説明しても、理解しようとしません。
「自分はダメだ」という結論ありきで話を聞いているため、素直に耳を傾けようとせず、議論にすらならないのです。
だから数字の説明を捨て、極めてシンプルな「損得」の話を彼にぶつけました。
「俺がわざわざ、お前が不合格になるところを受験させて、俺に何の得があるの? 俺が負ける勝負をさせるわけがないだろ。もうこれ以上は無理だと思ったら、その時は俺が勝負を止めさせる。だから今は、できなかった問題を次に活かすことだけを考えろ」
その言葉を受けて、彼は過去問と向き合い続けました。
結果、1月の千葉入試で市川と専修大松戸のダブル合格を見事に勝ち取ります。
これで「早慶がダメでも行く価値のある学校」を手に入れ、都立日比谷へも強気で出願できる最高の状態が整いました。
本番の魔物、そして「己の限界を知るため」の日比谷挑戦
市川合格による日程変更と、見えない「本番の解き方」
1月の千葉入試で市川と専修大松戸の合格を勝ち取ったことで、彼の2月の受験スケジュールは大きく変わりました。確固たる進学先を確保できたため、2月12日の巣鴨と13日の淑徳巣鴨(併願優遇)は受験を回避。
これにより、2月の私立入試は、6日の慶應志木、9日の早稲田本庄、10日の慶應義塾、そして11日の慶應志木(2次)か早稲田高等学院という早稲田系列と慶應系列だけに絞り込むことができました。
当塾では、入試を終えたらその日のうちに塾へ来させ、解き直しを行います。本番でどんな解き方をしたのか、問題用紙の書き込みを直接チェックするためです。
しかし、初戦となる2月6日の慶應志木は、試験後に問題用紙が回収されてしまいます。
そのため、彼が本番のプレッシャーの中でどのような解き方をしたのか、その日は確認することができませんでした。
本番の焦りが生んだミスと、最後の試験の前日に伝えたこと
そして迎えた2月9日。早稲田本庄の入試を終え、持ち帰ってきた問題用紙を見て愕然としました。
いくらか問題形式に変更があり、英語の大問1が並び替え問題になっていました。
並び替え問題は、かならず英文を書いた後に記号を並べるように指導しています。
なぜなら英文を書かずに「ウ→ア→イ」と記号だけを並べて解答すると、”I tennis play.”と実際に英文を書き出せば、「変な英語になっている」と気づけるものに気づけないからです。
案の定、絶対に落としてはいけない大問1で2問も間違えていました。
たった2問と思うかもしれません。
しかし、絶対に取るべき問題で基本の作法をないがしろにするということは、他の大問でも、あるいは他の科目でも、同じように焦って横着な処理をしている証拠です。
「絶対にそういう解き方をするな、必ず英文を書け」と日頃から指導し、本人も普段はそうやっていたはずです。しかし、入試本番の極限のプレッシャーの中では、「時間が足りなくなって終わらなかったらどうしよう」という恐怖から、普段やらない横着をしてしまう。これが本番の魔物です。
そして、これはたまたま本庄だけでやってしまったミスではないでしょう。
問題用紙が回収されて見えなかった2月6日の慶應志木でも、おそらく同じように横着をして失点しているはずです。慶應志木も早稲田本庄も、厳しい結果になるだろうと直感しました。
ただこの段階で大切なのは、翌日の2月10日にある慶應義塾を絶対に取ることです。
問題を一通り確認した後、一つだけ約束させました。
「試験は全部解き切ることよりも、取れるはずの1問を取りこぼして、それを取り返すことのほうがずっと大変なんだ。とにかく終わらせることに夢中になるな。1問を確実に取りきるための作法にフォーカスしろ」
そう軌道修正をかけ、翌日の試験へ送り出しました。
本人は「問題が簡単だったから受かった」とか「10日は志願者が分かれるから」などと、何も分かっていないくせに分かったような理屈を並べて、指導のおかげだとは認めないタイプです。
しかし結果として、早稲田本庄と慶應志木は不合格だったものの、翌日の慶應義塾だけは、見事に合格を果たしました。
「自分がどこまでやれるか?」 限界への挑戦
慶應義塾に合格したことで、彼の受験は無事に終了した……はずでした。 しかし、私立の入試が終わっても彼は塾へやって来ました。
「どーしたの?」と聞くと、「日比谷も受ける」と言います。
お母さんがずっと「大学附属がいい」と言っていたので、心の中で「また『逆張り』が始まったな。親への反発で進学校を受けると言い出したのだろう」と推測しました。
しかし、後になって本人に理由を聞くと、そうではありませんでした。
「単純に、自分がどこまでやれるかの好奇心だった。理社の勉強もしてきたから、挑戦してみたいと思った」
親への反発ではなく、純粋に「自分の限界を試したい」という自発的な思いからの決断でした。
そこからラスト1週間、午前は理科と社会、午後は日比谷の過去問というスケジュールで対策を行いました。
そして2月下旬。
都立の最高峰である日比谷高校に見事合格しました。
早慶と日比谷のダブル合格。極限のプレッシャーから逃げ出した早稲田本庄での失敗を乗り越え、自らの意思と行動力で掴み取った、文句なしの快挙でした。
定期テスト結果と通知表の評定
| 学期 | 5科目 | 9科目 | 評定 |
| 1学期 | 463 | 841 | 44 |
| 2学期中間 | 453 | ||
| 2学期末 | 452 | 817 | 44 |
学力診断テスト
| 実施月 | 3科偏差値 |
| 4月 | 69 |
| 5月 | 64 |
| 6月 | 67 |
| 7月 | 69 |
| 8月 | 72 |
| 9月 | 71 |
| 10月 | 70 |
| 11月 | 69 |
| 12月 | 62 |
| 1月 | 68 |
駿台模試
| 実施月 | 偏差値 |
| 4月 | 58.1 |
| 6月 | 56.6 |
| 8月 | 57.7 |
| 9月 | 62.1 |
| 10月 | 62.4 |
| 11月 | 66 |
天邪鬼がこぼした「本当の想い」
8年の付き合いと、面接練習で起きた「喜劇」
お姉さんが小5の時からの付き合いなので、お母さんとはもう8年の付き合いになります。
毎年思うことですが、親も子どもに育てられていると感じます。
今回の受験を通じて、お母さんの価値観もいろいろと変わったのだと思います。
ずっと大学付属がいいと言っていたお母さんが2月の段階で「早慶に限らず本人の好きなところに行けばいい」と最終的な決断を彼に任せていました。
おそらく、本当に日比谷でも慶應でもどっちでもいいと思っており、必ずしも「親の期待=慶應への進学」という状況ではありませんでした。
散々親に逆張りをしてきた彼ですが、本質的にはお母さんに褒められたくてしようがない甘えん坊です。
予想通り、彼が選んだのは当初お母さんが希望していた慶應義塾でした。
しかし、すべてが終わった後、どうしても腑に落ちないことがありました。
「自分がどこまでやれるか試したい」という純粋な好奇心で日比谷に挑み、見事その壁を越えた。
通常、どんなジャンルでも壁を自らの手で越えた時の快感や達成感は尋常ではなく、「もっと上を目指したい」とさらなる挑戦を望むようになるものです。
それほどの向上心と行動力を見せながら、なぜあえて大学受験のない附属校を選んだのか。
もし付属ならではの明確にやりたいことがあるなら別ですが、彼にはそれがありませんでした。せいぜい部活を頑張りたいといった、公立高校でも十分にできるような理由しか見当たらなかったのです。
その「付属校への明確な目的のなさ」は、2月10日の夕方に行った慶應志木の2次試験に向けた面接練習で、はっきりと露呈しました。
ここからは実際の面接練習のやり取りです。
「なぜ公認会計士になりたいのですか?」
「監査がしたいからです」
「……(意味不明だな)。では、なぜ監査がしたいのですか?」
「ニデックの不正経理の事件を見て、公認会計士になりたいと思うようになりました!」
「この出願書類出したの1月だよね。ニデックの不正経理発覚したの今日だよ…。」
監査の意味すら分かっていない上に、1月に出願しているはずの志望動機が、2月に起きたニデックの事件になっていました。
このように大学付属に行ってやりたい主体的な目的など、最初から何もなかったのです。
決断を支配していた「姉」と、数字が生んだ恐怖
臆病で天邪鬼な彼のことです。
親の前では本当の理由は言わないだろうと思い、二人きりになった時に尋ねてみました。
すると、しばらく考えた後、彼はポツリとお姉ちゃんの名前を口にしました。
「あいつがどーした?」と聞くと、彼はこう答えたのです。
「自分から見て、姉ちゃんはすごく英語ができる。その姉ちゃんが今大学受験をしていて『早稲田むずい!』って苦戦してる。自分よりも英語ができる姉ちゃんが苦労するなら、ぼくには大学受験なんて絶対無理だと思った」
客観的な数字、実績、今までの行動を比較すれば、どう考えても弟である彼の方が上の結果を出しています。
しかし、彼の中には「先天的に姉には勝てない」という強烈な思い込みがありました。
どんなに自分の成績が伸びても、一番身近で絶対的な存在だった上の姉に勝てる気がしない。
末っ子長男あるあるです。
分母が大きくて乱暴な言い方だといわれるかもしれません。だけど多くの子どもを見てきて家族構成が与える本人への影響はあると思います。
「自分から見て、姉ちゃんはすごく英語ができる。その姉ちゃんが今大学受験をしていて『早稲田むずい!』って苦戦してる。自分よりも英語ができる姉ちゃんが苦労するなら、俺には大学受験なんて絶対無理だと思った」
この言葉を聞いた時、すべてが腑に落ちました。
この決断の根底には、12月の市川の過去問や、慶應志木のデータを勘違いして騒いだ時にも見せた、彼の「悪癖」が強く影響していたのです。
客観的な実績や数字を正しく比較できず、勝手な思い込みだけで「無理だ」と絶望し、恐怖を増幅させてしまうあの危うさです。
今の彼が勝ち取った結果(早慶・日比谷合格)を冷静に分析すれば、どう考えても弟である彼の方が上の結果を出しています。
しかし、彼はそうは考えません。
あの姉に対する絶対的な畏怖もまた、客観的な事実よりも自分の感情と思い込みを優先してしまう、彼の「幼さ」そのものだったのです。
恐怖から逃げなかった強さ
同時に、自分という人間の浅さを突きつけられました。
この5年間、彼の受験を「息子を溺愛する母と反抗しながらも大好きな母親のために頑張る息子の物語」だと思って見ていました。
しかし、最後の最後で彼の決断を支配していたのは、母ではなく「姉」への畏怖だったのです。
さらに言えば、彼の中で育っていたのは純粋な「向上心」だけではありませんでした。
早稲田本庄で見せたミスの正体や、情報を読み違えて勝手に絶望する姿、そして慶應を選んだ理由。
その根底にあったのは、「負けるかもしれない」「終わらないかもしれない」という恐怖からの逃避でした。
日比谷へ挑む強気な姿勢や成績の伸びという表面的な部分だけで、彼を「強い受験生」になったと錯覚していただけで、本質は困難と戦うのではなく恐怖にただ耐えていただけなのかもしれません。
しかし、だからこそ彼は本当によくやったと今は思います。
姉へのコンプレックスを抱え、数字を見誤って勝手に絶望し、本番のプレッシャーから逃げ出してしまうようなビビりで脆い少年が、それでも38度の熱を出して塾へ歩いてきたり、理科20点の不安に耐えて、早慶と日比谷のダブル合格という結果を自分の手でもぎ取ったのです。
彼のその執念と行動力は間違いなく本物でした。
「選んだ道」を正解にするのは彼自身
また、今回の彼の受験は、見方を変えれば非常にクレバーな戦いでもありました。
1月に「市川」という確固たる安全網を築き、慶應を確保してから日比谷へ挑む。常に負けても最悪を避けられる戦いができました。
これは今後の人生の戦い方のひとつの最適解を学んでくれたと思います。
ただ人生においては、リスクを取らないことのほうがリスクであることが多い気がします。
先回りしてセーフティーネットを張り巡らせ、ノーリスクで戦わせたやり方が、結果的に彼の臆病さを助長してしまった部分もあるのではないかという葛藤は拭いきれません。
この慶應という選択を正解にするのは、これからの彼自身です。
受験を通じて、彼は間違いなく学力を伸ばし、一つの大きな壁を越えました。
これからは「優秀な姉に敵わない末っ子長男」という思い込みの呪縛から脱け出し、情報を正しく読み取り、困難から逃げずに立ち向かう本当の強さを手に入れてほしい。
大学受験がない環境に甘んじることなく、広い視野と高い視座を持ち、確固たる自分を見つけてくれることを、心から願い送り出したいと思います。


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